2005年07月11日

シアワセって?

今日はちょっと・・・真面目にいこうと思います。
ちなみに、あえて今回はコメントをいれてくれる人がいても、読むだけにしたいと思います。


シアワセってなんだろうね?
せんせぇには、わからなくなりました。


大切な誰かを傷つけてまで、シアワセを手に入れてもそれはシアワセでしょうか?
いろんな考えの人が当然の如くいるでしょう。
少なからず私は、違うと思います。
じゃなきゃ、泣いてないはずです。

何かを失ってまで、得るのがシアワセでしょうか?
そうしないと、本当のシアワセは得られないのでしょうか?

せんせぇにはわかりません。

何かを傷つけてしか、本当のシアワセが得られないとすればせんせぇはそれを望みません。
この考えが、甘いだの、幼稚だの言われても変えるつもりはありません。
仕方ない、しょうがない事・・・なんて言葉で諦めるつもりもありません。

もし・・・・・
そうだとしても・・・・・・・・・・
そうやって、悲しみをたくさん背負った人に・・・・・
背負った悲しみの何倍も、何十倍ものシアワセが訪れれば・・・・・
それなら、せんせぇも納得するかもしれません。

でも、実際のところは分かりません。
シアワセの尺度なんて、きっとどこにもありませんから・・・・・


もし・・・・・
自分が大切な人を傷つけて、ここまで来ていて・・・・・
それの償いを、出来るとしたら・・・・・

あなたは・・・・・どうしますか?
何を、どのくらいまでなら、やるでしょうか・・・・・


せんせぇには、どうしても償いをしたい、本当に『人間』として大切な人がいます。
もし・・・・・
償えるとしたら、私は何を、どこまでやるでしょうね・・・・・

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この記事へのコメント
幸せってのは誰が考えても分からない物と思いますよ。
一瞬のおいしい物を食べての幸せもありますが、
その現在の生活や状況に対する幸せを実感している人はそうそういないと思います。
自分は悲しみがあるからこそ嬉しさや幸福をいっそう高く感じる事ができると思っています。
その悲しみを忘れるほどの幸福を得た時こそが幸せなんじゃないかな。
完全に忘れることはできないけどその悲しみよりも印象の強い幸福を得ることができればOKと思う。

Posted by 白黒 at 2005年07月11日 18:23
文字数オーバーの為二回目。長文ごめんねぇ。。

罪を償う、というのは難しいことだけど、
自分で考えて、考えてできる精一杯の償いをして相手に認めてもらえることが大事と思ってます。
認めてもらえなくても自分の気持ちが伝わるように、自分の気持ちをアピールすればいい。
あとはコレを見て、他の人の意見も見て、それでせんせぇがなにを感じるかが大事。
人によっての意見の違いもこういう真面目な話しには重要になってくるから。

とにかくいまはあの時の俺との約束をまずは達成しようぜ!
最終的に決めるのはせんせぇだから無理強いはしないけどとにかく頑張るしかないさ!
Posted by 白黒 at 2005年07月11日 18:23
西洋と東洋の思想には、根底から大きな差異があるという。
西洋では、人間とは生まれてきたそのときから罪を背負い、決して拭い去ることなど不可能であると考えられている。これが原罪の思想だ。
対して東洋、特に日本では罪は禊・祓という、水にすすいで差し出せばもうその罪は償われたという、楽観的な考え方が古来より存在している。
どちらが正しいという判別はできない。それこそ宗教や価値観で異なる分野だからだ。
しかし、心情的に俺は後者の方が好きだ。
せんせぇはどうだろうか?
もし前者を選ぶなら、到底その罪は償えないので背負って生きなさい。
後者を選ぶなら、全身全霊で償いをして、開放されるべきではないだろうか。
Posted by ヴぁて太 at 2005年07月11日 20:25
振り返って初めて気付くモノ。
Posted by 詩人M  at 2005年07月12日 23:47
人それぞれな事だから、一概には言えない
でも、やれるのであればやれるところまでやっておくべきと思う
ただ、人によっては逆にそれが苦痛になる場合があるので注意すべき

どこで止めるべきか
これを判断するのは、ミーナさんにしかできない
Posted by yuz at 2005年07月14日 17:21
追記

何にせよ、
「ある一つの事柄に"のみ"目を向けている状態」
これを幸せというのではないだろうか?
Posted by yuz at 2005年07月14日 17:23